6月末、夏を間近に控えたこの季節が、ぶらぶら猫は一番好きだ。日曜日が好きだからこそ、その前の土曜日が好きなごとく、夏が大好きなぶらぶら猫は、同じ理由で、夏よりも、その前の初夏、春が好きなのである。梅雨で雨の日が多いのは残念だが、それでも梅雨の合間の晴れの日には、「仕事」である、ぶらぶら散歩に繰り出す。
しかし、今年は事情が大いに変わってしまった。それは、福島第一原発事故による放射能汚染である。首都圏の大気中の線量は随分下がったとはいえ、地表付近にはホットスポットが点在し、気分よく散歩する気になれない。屋内に閉じこもるよりも外にいることの方が好きなぶらぶら猫も、なんとなく外に出かけたくない気分になってしまうのだ。
ところで、最近、東京の街歩きを憂鬱にしている元凶が、もうひとつある。紫煙である。オフィスでの禁煙が厳しくなり、喫煙者がビルの裏扉などで吸いだした。ビルの裏扉は、ぶらぶら猫がぶらつくのが好きな、裏路地に面していることが多い。結果、裏路地を歩いていて紫煙に遭遇する機会が、増えてしまったのだ。
放射能と紫煙と、どっちが体に悪いかなんて、くだらない議論をしていた学者がいたが、ぶらぶら猫には、どっちもごめんである。
2011年5月28日土曜日
菅降ろしが成功しても…
福島第一原発事故収束の見通しもたたず、震災復興もまだまだだと言うのに、永田町だけは、くだらない足の引っ張り合いをしている。菅内閣不信任決議案が来月早々にも提出される見通しで、小沢をはじめとする民主党議員の相当数も賛成に回って可決される可能性もあるとか。
そうすると解散、総選挙になるが、最近の世論動向だと、自公政権復活の可能性が高い。そうなってしまうと、脱原発も、電力改革も、すべて停滞してしまうだろう。
菅内閣は許しがたいが、自公復活はもっと許しがたい。かと言って、現在の日本で、民主でも自公でもない第3勢力は、新自由主義で富裕層を豊かにするみんなの党、減税で富裕層を豊かにする減税日本、君が代強制など時代錯誤の専制支配的な維新の会など、もっともっと許しがたいものばかり…。
本当に日本にいるのが嫌になり、どこか政治亡命させてくれないかとも思いたくなる。かくなるうえは、基地問題で誠意を示さない日本なんか捨てて、沖縄独立しないかな。
そうすると解散、総選挙になるが、最近の世論動向だと、自公政権復活の可能性が高い。そうなってしまうと、脱原発も、電力改革も、すべて停滞してしまうだろう。
菅内閣は許しがたいが、自公復活はもっと許しがたい。かと言って、現在の日本で、民主でも自公でもない第3勢力は、新自由主義で富裕層を豊かにするみんなの党、減税で富裕層を豊かにする減税日本、君が代強制など時代錯誤の専制支配的な維新の会など、もっともっと許しがたいものばかり…。
本当に日本にいるのが嫌になり、どこか政治亡命させてくれないかとも思いたくなる。かくなるうえは、基地問題で誠意を示さない日本なんか捨てて、沖縄独立しないかな。
2011年5月26日木曜日
東芝製品をボイコットしよう!
国が定めた放射能の年間20mシーベルト基準から、福島の子どもたちを救うための活動に積極的に参加していた俳優の山本太郎氏が、出演予定だったドラマから降板させられたという。そのドラマは東芝日曜劇場で、山本の反原発的な活動が降板理由だと取りざたされている。
その昔、忌野清志郎の反原発ソングが、発売元の東芝EMIから発売中止になったこともあった。
原発を日本からなくしたいと願っている人は、ぜひとも東芝製品のボイコットを呼びかけてほしい。人気のREGZAもだめだ。原発とテレビは関係ないだろうと思うなかれ。東芝だって、原発と関係のないドラマから山本を排除したのだから、我々も東芝のテレビを排除しようではないか?
一般の市民が社会に向かって非暴力的に意思表示する方法はいくつかある。1つはもちろん選挙。1つはデモ。そして、今1つがボイコットだ。自由主義経済では、企業の最大の敵は、物やサービスが売れないことである。東芝が、忌野や山本の活動を、そうやって妨害するのなら、我々も、東芝の製品を買わないことで、妨害してやろうではないか? そして、原発を望まない人々の力を見せつけてやろうではないか?
その昔、忌野清志郎の反原発ソングが、発売元の東芝EMIから発売中止になったこともあった。
原発を日本からなくしたいと願っている人は、ぜひとも東芝製品のボイコットを呼びかけてほしい。人気のREGZAもだめだ。原発とテレビは関係ないだろうと思うなかれ。東芝だって、原発と関係のないドラマから山本を排除したのだから、我々も東芝のテレビを排除しようではないか?
一般の市民が社会に向かって非暴力的に意思表示する方法はいくつかある。1つはもちろん選挙。1つはデモ。そして、今1つがボイコットだ。自由主義経済では、企業の最大の敵は、物やサービスが売れないことである。東芝が、忌野や山本の活動を、そうやって妨害するのなら、我々も、東芝の製品を買わないことで、妨害してやろうではないか? そして、原発を望まない人々の力を見せつけてやろうではないか?
2011年4月24日日曜日
節電と風評被害報道についての違和感
東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所事故が発生して以来、人々が口に、頻繁に耳にする言葉に「節電」と「風評被害」がある。
節電は、震災による東京電力の電力供給能力の低下に対処するため国民に呼びかけられ、東電管内では、実際、3月下旬に計画停電が実施されたこともあって、その必要性が実感され、まるで「節電しないのは非国民」という印象を受けるほど広がっている。なかには、被災地外の人が被災地の人々のために協力できることは「ささやかな募金と節電協力です」といった、まるで、節電は被災地復興のためになるかのような言葉も聞いた。しかし、本当にこれほどの節電が必要なのだろうか?
もちろん、私はいわゆる節電そのものに異議を唱えるものではない。エネルギーの無駄使いをしないことは大切なことであるし、震災が起きる前から、できるだけ実践してきたつもりだ。それが、今回の震災、とくに原発事故が起きて以来、急に節電が美徳というより、国民の義務のごとく喧伝され、もともとささやかな生活を営んできた庶民までが「節電、節電」と頑張っている様は、「欲しがりません勝つまでは」の時代を見ているようで、薄気味悪い。止まったままのエスカレーター、薄暗い駅構内など、明らかに非常時を思わせる節電施策を見ていると、一体、いつまでこの節電を続ければよいのか? もっと健全な方法はないのかと疑問に思う。
メディアのニュース等では、枕言葉のように「原発事故による電力不足〜」と流される。しかし、東電の原子力発電所17基すべてを止めても、電力供給に問題がないことは、既に衆目の認める事実といってよい。問題は、原子力以外の発電所がどれだけ被害を受けて、復旧にどれだけ時間がかかるのかだが、これがいまいちはっきりしない。
何のための節電なのか? 欧米と比較すれば、1人あたりのエネルギー使用量はまだまだ慎ましい日本の生活者に、さらなる忍耐を強いてまで、節電を訴えかける姿勢は、「原発がなければこれだけ困りますよ」というプロパガンダに聞こえても仕方ないだろう。
もう一つ、よく言われる「風評被害」である。福島第一原子力発電所から遠くない福島や関東地方のの農産物を消費者が敬遠し、その市場価値が激減したことをもって、メディアは盛んに風評被害だと説く。そして、即売会などで、困っている当該地域の農家の産物を喜んで購入する消費者の様子を流し、風評に惑わされるなと言う。
しかし、危険性のあるものを敬遠し、避けるのは、消費者の正当な防衛反応ではないだろうか? 原発事故による放射能流出と拡散範囲を考えれば、福島はもちろん、関東一円にかけての農産物に危険性ありと考えるのは当然だろう。きちんと検査済みなので大丈夫というが、検査体制が万全とはいえないし、この国は汚染の深刻さに合わせて平気で検査基準を緩めるような国だ。放射能の健康に与える影響についてもはっきりしない部分も多く、消費者が大事をとって、福島からできるだけ遠い地域の農産物を選ぶのは当然の志向であるし、権利であると思うのだ。とくに子どもや若い世代は、用心に越したことはない。
丹誠込めて育てた農産物の市場価値を失ってしまった農家は気の毒だと思う。しかし、悪いのは、それを敬遠する消費者ではなくて、原発事故であり、原発の存在そのものなのだ。メディアが盛んに流布させる「風評被害」という言葉を聞いていると、安全なものが欲しいという消費者に責任を転嫁し、原発を設置、推進してきた者から批判の目を逸らそうとしているかのように感じる。
節電は、震災による東京電力の電力供給能力の低下に対処するため国民に呼びかけられ、東電管内では、実際、3月下旬に計画停電が実施されたこともあって、その必要性が実感され、まるで「節電しないのは非国民」という印象を受けるほど広がっている。なかには、被災地外の人が被災地の人々のために協力できることは「ささやかな募金と節電協力です」といった、まるで、節電は被災地復興のためになるかのような言葉も聞いた。しかし、本当にこれほどの節電が必要なのだろうか?
もちろん、私はいわゆる節電そのものに異議を唱えるものではない。エネルギーの無駄使いをしないことは大切なことであるし、震災が起きる前から、できるだけ実践してきたつもりだ。それが、今回の震災、とくに原発事故が起きて以来、急に節電が美徳というより、国民の義務のごとく喧伝され、もともとささやかな生活を営んできた庶民までが「節電、節電」と頑張っている様は、「欲しがりません勝つまでは」の時代を見ているようで、薄気味悪い。止まったままのエスカレーター、薄暗い駅構内など、明らかに非常時を思わせる節電施策を見ていると、一体、いつまでこの節電を続ければよいのか? もっと健全な方法はないのかと疑問に思う。
メディアのニュース等では、枕言葉のように「原発事故による電力不足〜」と流される。しかし、東電の原子力発電所17基すべてを止めても、電力供給に問題がないことは、既に衆目の認める事実といってよい。問題は、原子力以外の発電所がどれだけ被害を受けて、復旧にどれだけ時間がかかるのかだが、これがいまいちはっきりしない。
何のための節電なのか? 欧米と比較すれば、1人あたりのエネルギー使用量はまだまだ慎ましい日本の生活者に、さらなる忍耐を強いてまで、節電を訴えかける姿勢は、「原発がなければこれだけ困りますよ」というプロパガンダに聞こえても仕方ないだろう。
もう一つ、よく言われる「風評被害」である。福島第一原子力発電所から遠くない福島や関東地方のの農産物を消費者が敬遠し、その市場価値が激減したことをもって、メディアは盛んに風評被害だと説く。そして、即売会などで、困っている当該地域の農家の産物を喜んで購入する消費者の様子を流し、風評に惑わされるなと言う。
しかし、危険性のあるものを敬遠し、避けるのは、消費者の正当な防衛反応ではないだろうか? 原発事故による放射能流出と拡散範囲を考えれば、福島はもちろん、関東一円にかけての農産物に危険性ありと考えるのは当然だろう。きちんと検査済みなので大丈夫というが、検査体制が万全とはいえないし、この国は汚染の深刻さに合わせて平気で検査基準を緩めるような国だ。放射能の健康に与える影響についてもはっきりしない部分も多く、消費者が大事をとって、福島からできるだけ遠い地域の農産物を選ぶのは当然の志向であるし、権利であると思うのだ。とくに子どもや若い世代は、用心に越したことはない。
丹誠込めて育てた農産物の市場価値を失ってしまった農家は気の毒だと思う。しかし、悪いのは、それを敬遠する消費者ではなくて、原発事故であり、原発の存在そのものなのだ。メディアが盛んに流布させる「風評被害」という言葉を聞いていると、安全なものが欲しいという消費者に責任を転嫁し、原発を設置、推進してきた者から批判の目を逸らそうとしているかのように感じる。
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