2011年4月24日日曜日

節電と風評被害報道についての違和感

 東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所事故が発生して以来、人々が口に、頻繁に耳にする言葉に「節電」と「風評被害」がある。
 節電は、震災による東京電力の電力供給能力の低下に対処するため国民に呼びかけられ、東電管内では、実際、3月下旬に計画停電が実施されたこともあって、その必要性が実感され、まるで「節電しないのは非国民」という印象を受けるほど広がっている。なかには、被災地外の人が被災地の人々のために協力できることは「ささやかな募金と節電協力です」といった、まるで、節電は被災地復興のためになるかのような言葉も聞いた。しかし、本当にこれほどの節電が必要なのだろうか?
 もちろん、私はいわゆる節電そのものに異議を唱えるものではない。エネルギーの無駄使いをしないことは大切なことであるし、震災が起きる前から、できるだけ実践してきたつもりだ。それが、今回の震災、とくに原発事故が起きて以来、急に節電が美徳というより、国民の義務のごとく喧伝され、もともとささやかな生活を営んできた庶民までが「節電、節電」と頑張っている様は、「欲しがりません勝つまでは」の時代を見ているようで、薄気味悪い。止まったままのエスカレーター、薄暗い駅構内など、明らかに非常時を思わせる節電施策を見ていると、一体、いつまでこの節電を続ければよいのか? もっと健全な方法はないのかと疑問に思う。
 メディアのニュース等では、枕言葉のように「原発事故による電力不足〜」と流される。しかし、東電の原子力発電所17基すべてを止めても、電力供給に問題がないことは、既に衆目の認める事実といってよい。問題は、原子力以外の発電所がどれだけ被害を受けて、復旧にどれだけ時間がかかるのかだが、これがいまいちはっきりしない。
 何のための節電なのか? 欧米と比較すれば、1人あたりのエネルギー使用量はまだまだ慎ましい日本の生活者に、さらなる忍耐を強いてまで、節電を訴えかける姿勢は、「原発がなければこれだけ困りますよ」というプロパガンダに聞こえても仕方ないだろう。
 もう一つ、よく言われる「風評被害」である。福島第一原子力発電所から遠くない福島や関東地方のの農産物を消費者が敬遠し、その市場価値が激減したことをもって、メディアは盛んに風評被害だと説く。そして、即売会などで、困っている当該地域の農家の産物を喜んで購入する消費者の様子を流し、風評に惑わされるなと言う。
 しかし、危険性のあるものを敬遠し、避けるのは、消費者の正当な防衛反応ではないだろうか? 原発事故による放射能流出と拡散範囲を考えれば、福島はもちろん、関東一円にかけての農産物に危険性ありと考えるのは当然だろう。きちんと検査済みなので大丈夫というが、検査体制が万全とはいえないし、この国は汚染の深刻さに合わせて平気で検査基準を緩めるような国だ。放射能の健康に与える影響についてもはっきりしない部分も多く、消費者が大事をとって、福島からできるだけ遠い地域の農産物を選ぶのは当然の志向であるし、権利であると思うのだ。とくに子どもや若い世代は、用心に越したことはない。
 丹誠込めて育てた農産物の市場価値を失ってしまった農家は気の毒だと思う。しかし、悪いのは、それを敬遠する消費者ではなくて、原発事故であり、原発の存在そのものなのだ。メディアが盛んに流布させる「風評被害」という言葉を聞いていると、安全なものが欲しいという消費者に責任を転嫁し、原発を設置、推進してきた者から批判の目を逸らそうとしているかのように感じる。

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