2010年9月1日水曜日

素直に小沢立候補を批判する気になれない理由

 鳩山前首相の調停にもかかわらず、結局、小沢前幹事長は民主党代表選(すなわち首相選)に立候補することになった。普通に考えて、非常識な、許されざる暴挙であろう。わずか3カ月前に幹事長を辞任したばかりであり、「政治とカネ」スキャンダルのみそぎが済んでいるとも思われない人物が政府与党の代表すなわち首相の座を狙うなどということは考えられないことだ。もし小沢が代表選に勝利して首相になれば、自民党をはじめとする節操のない野党はここぞとばかりに政治とカネの問題を責め立てて、国会は重要審議そっちのけになってしまうだろうし、市民団体とやら(極右系の団体らしいが、なぜかメディアは公にしない)の申し立てに屈して検察審査会が小沢起訴の判断を下すかもしれない。また、わずか1年ちょっとの間に首相が3人も替わる事態も日本の立場を弱めるだろう。
 このように、小沢の立候補はどう考えても常人にはありえない判断であるにもかかわらず、小沢が立候補を決断してくれたことに対する期待も捨てられない。それだけ、現在の菅政権が続いてもらっては困るという気持ちが強いからだ。菅直人は変わった。もはや市民運動家の彼ではない。菅政権とは、前原、野田、玄葉といった新自由主義者たちの政権だ。このまま菅政権が続けば、間違いなく日本はとんでもない方向に行く。彼らの自由にさせないためにも、小沢の破壊力に期待せざるを得ない、悩ましい立場に、日本の良識ある人々は立たされていることと思う。

2010年8月25日水曜日

もう家族幻想は捨てよう

 「消える老人」「児童虐待」など、家族をめぐる事件が世間をぎわせている昨今である。そして、そのたびにテレビなどマスコミには、「日本の社会がここまで劣化してしまったか」と嘆き、「美しき良き日本の家族制度」への郷愁のコメントに溢れている。
 しかし、それはほんとうに「劣化」なのであろうか? 家族の形態が時代とともに変化しただけではないのか? 社会が豊かになり、発展するとともに、より個人が自由を獲得していくのは当然の流れではないだろうか? 老若問わず、現実に1人世帯が多数派となりつつある現代日本において、いつまでも旧来の家族制度にしがみつき、それに合わせた制度を維持し続けていることが、多くの不幸を生んでいることを直視すべきだ。
 例えば少子化対策の優等生として語られるフランスについて、その成功理由として手厚い子育て支援が取り上げられることが多い。もちろん子育て支援も少子化対策として有効ではあろうが、フランスの成功理由の大きな部分は、自由な婚姻制度によるものだ。同棲婚、シングルマザーといった、いわゆる「正式な婚姻」以外の家族のあり方に対する社会と制度の許容が、少子化をストップさせた成功理由だと思う。その証拠に、今や、フランスは婚外子の割合が5割を超えている(日本はわずか2パーセント)。
 日本ももっと多様な生き方を許容する制度に改めるべきだし、欠点だらけの戸籍制度は廃止すべきだ。このように言うと保守的な言論人からは「制度を緩めると、家族が崩壊してしまう」という声が聞こえてきそうだが、家族などとっくに崩壊しているのだ。
 過去の郷愁にしがみついて現代の個人を不幸にするよりも、現実を直視して、少しでも多くの個人を幸せにすることが大切なのではないか?

2010年6月8日火曜日

国民の真意は?

 鳩山由紀夫が首相を辞任し、菅直人が後任の首相に就任した。鳩山はみずからの辞任のおもな理由として、「普天間」と「政治と金」の問題をあげた。菅は普天間問題について、鳩山政権がまとめた日米共同声明を踏襲すると言う。すなわち首相が鳩山から菅に替わったことで、普天間問題は何も変わらないということだ。
 にもかかわらず、世論調査では6割近い人が菅に期待し、民主党に対する支持率もV字回復しているらしい。これではっきりしたことは、日本国民の多くは、沖縄の基地をなくすことについて、どうでもよいと思っているということだ。鳩山の罪は、基地の沖縄県外移設を果たせなかったことにあるのではなく、アメリカとの間をこじらせ、アメリカを怒らせたことにあると、多くの日本国民は思っているということだ。来たる参議院選挙で、筋を通した社民党が票をのばすようなことがなければ、逆に票を減らすようなことになれば、日本国民の真意はよりはっきりする。

2010年6月2日水曜日

簡単にトップをすげ替える日本

 鳩山首相が辞任を表明した。野党やマスコミは以前から鳩山の責任追及を叫んできたが、普天間米軍基地移設問題のこじれと社民党の政権離脱という事態を受けて、民主党内部からも鳩山退陣を求める声が大きくなり、辞任に追い込まれた。
 しかし、夏を前に、またわが国のトップが替わるのかと思うと気が滅入る。小泉元首相のあと、安倍元首相以下、4年つづけて毎年首相が替わる事態に、国民はうんざりしていないのだろうかと疑問に思う。なぜ、この国では、こうもすぐに首相、すなわち与党党首の責任と退陣が問題になるのだろうか? 日本と同じ、議院内閣制を採用し、ことあるごとに日本がお手本とする国であると言われるイギリスでは、こう頻繁に首相は交代していない。ブレア元首相にせよ、ブラウン前首相にせよ、その政策や指導力が問題にされても、日本のように簡単に辞めたり、辞めさせられたりはしていない。
 日本と言う国は、欧米などと比べて、一般に集団主義的で、個人の責任追及をあまりしない。企業トップが経営に失敗した時、アメリカなどでは経営者個人が厳しい処分を受けるのに対して、日本の経営者は、個人が厳しい処分を受けることはないように言われてきた。にもかかわらず、国のトップについては、なぜ、こうも厳しく追求されるのか? 思うに、トップさえ替えれば禊(みそぎ)は済んだ、という安易な「辞任論」が政治の世界にはびこっているのではないか? 総裁選挙で麻生を選んでおきながら、数ヵ月後には、「選挙のために」辞任を迫った自民党議員が、そのいい例である。いや、現在の民主党議員も同じようなものだろう。彼らには、みずから選んだトップをできるだけ支え、ともに努力しようという意志が感じられない。
 いや、その意味では、鳩山民主党を選んだ日本国民も同じようなものである。今回の鳩山退陣の危機は、普天間迷走が決定打となったようだが、普天間問題に関して、日本国民(沖縄県民を除いて)が何を望んでいるのかが見えてこない。彼らが本当に米軍基地の国外移設を望んでいるのなら、一国の首相をこれだけ馬鹿にし、交渉も妥協の余地も示さなかったアメリカに対して、怒りの矛先が向かわなければおかしい。米軍基地の沖縄県外移設を支持していたのなら、積極的に自分の地方に基地を誘致しなければおかしい。